江戸の「ナシ学」の世界に遊ぶ
美濃大垣では江戸の中期にいち早くナシ栽培に成功して他に範を示した。また関東では文化・文政の時代に、下総葛飾、武蔵の六郷、川崎、鶴見などが江戸近在のナシ産地として全国に名をはせた。日本のナシ栽培が大きく発展した江戸時代。人々はどんなナシを食べていたのだろう。 川柳に詠まれたナシ、ナシの錦絵、明治初めの果樹書の図絵などを探りながら、しばし江戸のナシ学の世界に遊んでみよう。
東都歳時記 美濃箱梨子
東都歳時記 美濃箱梨子
(江戸名所図会)に描かれた江戸近在のナシ園 美濃の名は江戸のナシ品種のブランド名となった。
大古河の果実 江戸の川柳のなかのナシ
大古河の果実 江戸の川柳のなかのナシ
一、晩三吉 二、早生赤 三、大古河。大古河は美濃古河とも呼ばれ、「果形偉大にして外観美」と評される。1906(明治39)年の果実写真。 馬士は騎手のこと、淡雪は江戸の人気ナシ品種。江戸庶民のナシの消費ぶりがうかがわれておもしろい。
江戸中期の美濃大垣のナシ栽培風景
江戸中期の美濃大垣のナシ栽培風景(1859(安政6年)『広益国産考』より)
2種の西洋ナシ 江戸庶民の御用達だった太平梨子と江戸家梨子
2種の西洋ナシ 江戸庶民の御用達だった太平梨子と江戸家梨子
1876(明治9)年『菓木栽培法』(鳥取県立倉吉農業高校所蔵)より(右図も同じ)
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